句作にふける荒井宗明さん=季刊誌「しもつけの心」(井上総合印刷)秋号企画「道」から

評伝 柳人荒井宗明さん逝去

元県川柳協会長、真岡市立図書館初代館長…
真岡の文化を育てた父

文化

 元県川柳協会長、真岡市立図書館初代館長などを歴任し本県柳壇、文化振興に多大な功績を残した荒井宗明(本名・むねあき)さんが10月25日逝去した。99歳だった。29日、宇都宮市内で営まれたお別れ会には荒井さんをしのび、県や県内外の文化関係者ら200人以上が参列した。
 宇都宮市生まれ。日本大学経済学部卒業後、県職員として34年、長く県立図書館に勤めた。学生の頃から江戸文化に興味を持ち、30代で江戸中期の俳諧書「武玉川」を知り川柳の道に。川柳界六大巨匠の一人、下野新聞「しもつけ文芸」選者だった前田雀郎(1897~1960年)に師事。1958年、34歳で「下野川柳会」に入会し、半世紀に及ぶ川柳人生をスタートさせた。
 県立美術館副館長、県史編さん室長、県文化振興事業団文化部長などを経て、陸軍で同年兵だった真岡市の菊池恒三郎市長(当時)に強く請われ、82年に開館した市立図書館初代館長に就任した。57歳だった。
 館長就任時に詠んだ句は「一人行く前も後ろも風ばかり」。プレッシャーをはねのけるかのように図書館運営に注力した。
 「これからはいつでも、だれでも、どこでも、利用できる市民のための図書館を目指さなければならない」は、荒井さんを師と仰ぐ同市の横山直史さん(83)が弔辞で披露した40年前の師の言葉だ。
 斬新な発想で市執行部、議会を動かし、県内に先駆け「移動図書館」車を実現。社会教育、特に市文化協会文芸部門の指導にも注力し、「真岡の文化の育ての父」と評された。
 書は師範級の腕前で、「臥龍会」創設者日賀野東華氏を父に持つ雅子さんと結婚。「おしどり書家」と呼ばれた。岡部記念館「金鈴荘」、真岡井頭温泉など、揮毫した看板、表札、記念碑は数知れず。
館長就任の2年後に就いた「しもつけ文芸」選者は28年に及んだ。選句は主に宇都宮市の自宅から図書館に向かう東野バスの車中。「楽しそうに選句していた」と雅子さん。
 川上澄生に版画を習い、染色、陶芸、篆刻もたしなんだ多彩な趣味も「人生哲学も詠み込む川柳」に生きた。県文芸家協会長なども務め、1999年度県文化選奨を受けた。
 卒寿を過ぎても創作意欲は衰えず、2021(令和3)年新設の「ゆいの杜小学校」校歌の詞を手掛けたことを殊の外喜んだ。「最後の仕事」は「栃木県川柳史」の編さん。書斎の机にうず高く積まれた原稿用紙に、長男雅明さんは「8割ほど書き上げていた」と未完を残念がった。
 自作句で一番のお気に入りは、唯一の句集「春秋の賦」(88年刊)巻末の掲載句だった。
「この妻と来世も歩く花遍路」
 プラチナ婚を迎えた愛妻家、偉大なる柳人の照れ笑いする表情がふと浮かんだ。

合掌

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