真岡随筆クラブ会員 これも郷土愛だから

仙波満(真岡随筆クラブ会員

文化

昭和四十四年春、市内工業団地に進出した大企業のK社に入社した。第一期生として山口県長府で仲間達と複数月の研修を受けた。栃木訛りの山口弁を手土産に、自然豊かな真岡に帰ってきた。真岡の緑が眩しかった。
 その年のこと、市内で宴会が開かれた。その日の記憶は色鮮やかだ。宴席で上長(上司)から『マオカの誇りはなんや』と問われた。長府から来たその御仁は五十搦み。世間を知らぬ一八才の私は返事に窮した。答えが無い。この地に歴史に残る人物がいた訳でもなし。伝統産業がある訳でもない。続けてその御仁は『マオカは何も無いのう』と、笑い顔で話すのだ。私は腹の奥でむかついた。真岡がコケにされた思いだった。私は『マオカじゃなくてモオカですよ』と強く否定した。だが、実際にはマオカの方が発音し易い。すると隣席にいたNさんだったか、『真岡には昔、丹頂鶴がたくさんいたって聞いてますよ』と、助け舟を出してくれた。きっと彼も口惜しかったに違いない。だが、その説が真実であっても、それは口伝であって、確固たる証左となる古文書が残っている訳ではない。そこで私は主張した。『真岡の誇りは自然がいっぱいのところです。それに穏やかな人達です』と笑顔で噛みついた。内心『長府にあるんけ、この自然や人達』と続けて吐きたかったが、声には出さず『ええっちゃ、ええっちゃ』と山口弁で自分を納得させた。何故なら、その御仁、長年住み慣れた地を離れ、家族ごと長州から越して来たのだから。それに今はもう真岡人なのだから。山口に住む知人達に、この地を自慢できる何かを求めているのだ、と解釈した。新しい郷土愛だと。
 公的資料によると、真岡の地名の由来は二つあり、一つはアイヌ語マオカ、風が当たり、風の通る道の意。もう一つは、真岡の真は美称で、台町一帯の小高い岡、つまり城山公園近辺から真岡女子高校周囲が精美であったからとされる。うん、納得納得、その通り。
 以前、仕事の一環で、海の警察海上保安庁向け納入の高速ヘリに同乗したことがある。速度は新幹線並みになる。宇都宮のF社飛行場から急上昇すると、筑波山と光る鬼怒川、そして緑豊かな真岡が視界に広がった。眼下に渡り鳥の群が翔ぶ。K社の工場も見える。私は鶴になった気分だった。この自然豊かな丘陵で、丹頂達は大きな羽を休めていたに相違ない。願いが確信となった。真岡は鶴の舞う岡『舞丘市』なのだ。

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