箱根駅伝8区で力走する廣澤(本人提供)

ひろさわ・ゆうと 2000年9月9日生まれ、22歳。剣道は初段の腕前。日体大には一般入試で合格し、在学中に教員免許を取得した。目標とする選手は遠藤日向(住友電工)。休日はサウナに通い汗を流す。父・母・弟との4人家族。167㌢、50㌔。

憧れの「箱根」で力走

8区の大学記録を樹立
日体大・廣澤優斗(真岡高卒)

スポーツ

1月2・3日に行われた「第99回箱根駅伝」で日本体育大学の8区を走った廣澤優斗(真岡高卒)。入学後、一時は中距離に転向しながら、最初で最後の「箱根」に挑み、同区間の大学記録を樹立した。実業団の強豪に入社して競技を続ける廣澤に、陸上を始めたきっかけや箱根駅伝出場の転機、今後の目標などを聞いた。
 真岡市出身の廣澤は、東沼小2年の時に野球を始め、山前中では剣道部に所属。幼少の頃から、フルマラソンにも挑戦していた祖母の影響で走ることに興味を持ち、特設陸上部の一員として大会に出場していたという。
 真岡高で陸上部に入部し、本格的に競技をスタート。1500㍍と3000㍍障害に取り組み、3000㍍障害では県3位、北関東8位の成績を残した。
 箱根駅伝への憧れを抱いて入学した日体大では、陸上競技部駅伝ブロックに入部したものの、受験勉強のブランクが響き、1カ月で中距離ブロックに移籍。3年時には、1500㍍で日本インカレ決勝に進出した。
 転機は3年生の11月。大学の記録会で「中距離強化の一環」として5000㍍、1万㍍を走ったが、その記録を知った駅伝ブロックの玉城良二監督から「駅伝を走ってみないか」と誘われた。
 中距離ブロックの新主将に就任したばかりの廣澤は、4年生の9月に行われる日本インカレまでは中距離に専念し、主将の責任を果たしてからの駅伝ブロック合流を決断。「一度は諦めた箱根駅伝を走れるかもしれない」とギアを入れ替え、日本インカレで1500㍍8位、5000㍍10位の成績を残し、中距離を引退した。
 迎えた10月の箱根駅伝予選会。初めてのハーフマラソンでチーム2位の好タイムを記録し、予選会5位通過、75年連続出場に貢献した。アキレス腱の故障で調整が遅れたが、箱根本番では復路の8区(21・4㌔)で区間12位と健闘。同区間の大学記録を塗り替えた。
 当日のエントリー選手が発表された直後から、お祝いのメッセージが「信じられないほど来た」と話す。最初で最後の箱根路を「ほんの一瞬に感じた」と振り返るが、沿道からの自分への声援ははっきりと聞こえ、前へと進む原動力になった。
 卒業後は、陸上の強豪・コニカミノルタで競技を続ける。目標は「トラックでは日本選手権で3位以内入賞、駅伝ではニューイヤー駅伝の優勝に貢献」と明確だ。
 将来は「指導者として地元に戻り、陸上の楽しさを伝えたい」。常に自分に言い聞かせてきた「苦しいのは一瞬、喜びは一生」の言葉を胸に、得意のラストスパートに磨きをかける。

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