大正9年12月15日開業時の茂木駅舎 Ⓒ佐藤写真館初代館主佐藤健次郎氏撮影

大正9年当時の茂木駅員

100年前の駅と列車事情

開業当時の駅員・永山徳之介さんの回顧録より

社会

 かつては特産物の運搬、また首都圏との交流、通勤・通学の足としての役割を担い、芳賀地方の大動脈として活躍している真岡線は、明治45年に下館―真岡間、大正2年に真岡―七井駅間が開通。そして9(1920)年に七井―茂木駅間が開通し今年12月15日で「七井―茂木駅間・全線開通100周年」を迎えた。
 100年前、茂木駅開業当初に駅員となった茂木駅前の故永山徳之介さんは、『後世の参考のために』と、生前、記憶を頼りに開業一年後の大正10年時の茂木駅構内、周辺の様子を地図(=写真)に書き起こし、また列車事情を文章で残した。長男の富夫さんからその貴重な資料が小社に寄せられた。
 資料の地図によると、開業当時の茂木駅は、待合室に二等、三等があり、開札を抜けると左側が貨物、右側が人のホームに分かれていた。駅前広場は、左側に篠田運送、塚本運送、高田運送の3社の貨物発送所。右側には人力車10台の詰所、テニス場、合宿所、駅長・助役室、三棟の官舎が設けられていた。
 開業して4、5年は、混合列車で機関車の次に貨物列車、郵便車、手荷物車、三等、二等客車と続き、下館―茂木駅まで二時間三分を要した。
 駅長と貨物係は、駅に集積される米穀類、薪、炭、木材など産物の収穫量を把握するため、農作物、森林伐採現場視察、炭窯の数の調査などを行った。輸送に支障をきたさないよう、半年前に農協などと収穫量の打合せをして貨物の配車を円滑にした。
 文中、「先輩有志の努力を意義あるべく、町民の一致協力で存続を…」と、真岡線の存続を願う思いが記されている。

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