中庭の枯山水「栃木の庭」に立つ中村支配人

キラリ人生 『人生万事塞翁が馬』を歩む

モノづくりの知恵と工夫で時代を拓く
茂木町・昭和ふるさと村支配人  中村利美さん(72)

キレリラ

 中村さんは60歳の時、知人からの情報で茂木町所有の旧木幡小学校の跡地活用の公募を知り、「自分はまだまだ若い」と応募した。下見で訪れた木造校舎の一直線に伸びた約75mの廊下、マンサード屋根、里山の風景が「宝物」に思えひと目惚れ。活用に新たな夢を膨らませた。
 校舎は、校長室などの特別棟を宿泊施設、教室棟を昭和の体験教室などに活用し、令和3年2月、木造校舎が国登録有形文化財に認定された。町の小﨑正浩副町長は「当時、『非常に建築に明るく意欲的な方なので、信頼して任せたいと選定した』と聞いています」と話す。
自分にとっての大学
 中村さんは、山口県周南市(旧徳山市)生まれ。高校卒業後、水処理メーカーの栗田工業に入社。入社後6ケ月間、東京、大阪、横浜のあらゆる部署で経理、営業、現場などの研修を受けた。同期は東大・京大などほとんどが大卒で、人間的なスケールの差を感じた。寮で、5つ違いの1期先輩にその心の内を明かしたところ、『中村君、本を読みなさい』と言われた。歴史、実録、地理など、以来読書は日課となった。6年後、所属部署が子会社となるのを転機に建築を目指して退社したが、その間の学びが多く、中村さんにとっての「人生の栗田大学」だったという。
上司の第三の提言
 住宅販売会社を経て、三井ホームの創業に伴う求人募集に応募し入社、新宿本社勤務となった。創業時とあって何もかもが1からのフォームづくり。見積もりの仕方、建築部材の選定、多種帳票づくり、支店立上げなどに励み、1企業の大小の歯車が噛み合い1つになっていくのを肌で感じた。
 係長で転勤し数人の部下を抱えた時、営業力を評価され、課長から独自での営業を勧められた。中村さんは、「自分だけが伸びる道よりも、後輩を育て課内全体がスキルアップする道を歩みたい」と、終電間際まで力説した。翌日、課長は『よく自分の意見を言ってくれた。部下を育てながら営業を』と第三の道を提言してくれた。
 その後、第三の道に励み、社長賞を受賞。中村さんは「あの時、課長から『いいからやれ!』と押し付けられたら今の僕はなかった」と振り返る。
 この頃、独立したいと思うようになり、営業所長、コミッション営業マンを経て独立しリフォーム会社を設立した。同時に売上ばかりを競う企業戦士ではなく、人間らしく生きたいと田舎暮らしを夢見ていた。
人生万事塞翁が馬
 平成6年、那須郡那珂川町に2000坪を買い求め、オートキャンプ場「サンタヒルズ」をオープンさせた。銀行に融資を申し込むも断られ、「ならば自分で建てよう」と雑木林を拓いて道を作り、管理棟、炊事棟、トイレ棟、1棟目のコテージをセルフビルドで完成させた。その後の15年間で22棟のコテージとツリーハウスを造り、モノづくりの楽しさに開眼し、「人生万事塞翁が馬」を痛感した。サンタクロースをテーマにしたオートキャンプ場はオープン15年目に子どもたちが跡を継いでくれた。
 中村さんは今、木造校舎の有効活用を図ると共に、地域の特産品でもある木を生かした遊具などの木工品を製作し将来的に商品化につなげたい。そのためにもモノづくりの素晴らしさを後世に伝えたい。やりたいことはまだまだいっぱい」と、里山を見渡しながら目を輝かせた。

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