引退した菅和範選手

栃木SC 栃木の『闘将』菅選手が現役引退

ロングインタビュー

スポーツ

 2020年シーズンを最後に、栃木SCの菅和範選手が現役を引退した。
 菅選手は、2008年にFC岐阜でプロスタートし、12年に栃木SCに加入。J2、3通算295試合に出場し、13得点をあげた。昨シーズンはチームキャプテンを務めチームを牽引。昨シーズンのグリーンスタジアム最終戦はシーズン初の途中出場し、観客を沸かせた。
 菅選手に話を聞いた。
‐引退について
 引退って寂しく辛いものだと思っていたけど、全く違って、「引退ってこんなに幸せなものなんだな」と。息子には「栃木SCの選手、7番じゃなくなるからね」と伝えた時一緒に泣いてしまって。娘にはまだ伝えてないので、いつか伝えたい。
‐引退を意識したのは
 J3に降格した時も考えたし、他でも意識はしていた。今シーズンは若手が育ってきたというのも理由の一つ。あとはキャプテンとして誇りが強く、チーム愛が強すぎて自分が試合に出られない感情よりも、チームが勝つことを優先してしまっていた。その気持ちを持ったままプロとしてピッチに立つのはダメだなと…自分の感覚を大切にした結果の引退。
‐13年間続けられた原動力
 コンプレックスかな。下手くそって言われ続けてきたので「上手くなりたい!」という気持ちで続けたこと。試合に出られない理由を「自分の実力不足」と思い続けたからこそ、この舞台に立ち続けられたのかな。
‐印象に残っている試合
 全ての試合を覚えているけど…カンセキスタジアムの最終戦。出場できなかったけど、観客席から見た景色は忘れられない。12月6日のグリスタ最終戦では、チームメイトに伝えてからのゲームだったので、いろいろな感情がこみ上げた。
‐昨シーズンを振り返って
 ピッチに立たないキャプテンでしたけど、キャプテンはピッチに立つことが全てではない。自分の存在がチームの能力や良さを引き出せるかどうかだと思っていて、前を向かせチーム一丸となることを意識した。チームの一員としてしっかり戦ったと感じている。
‐栃木SCで得たもの
 人や仲間の大切さ、支えられている感謝の気持ち。たくさんの経験をさせてもらった学びの9年間だった。
‐幼少期から明るい性格だったのでしょうか
 母親が気遣いのできる人で愛情をもって育ててくれた。明るい性格なのは親の教育の賜物。当たり前のことを当たり前にできるように、「常に謙虚でいなさい」と言われ続けてきた。
‐第二の人生は
 何も決めていない。家族からは自分が何をしたいのかを考える猶予をもらっている。誰かの為に働きたいし、大きく言えば日本の為に何かできたらいいなと考えている。見るべきところは大きく、やるべきことはコツコツと。ありがたい事に「栃木に残ってほしい」と言われますが、栃木SCに戻るのであれば違う方面から戻りたいなと思っていて、僕の存在がチームにもっと貢献できる存在になった時に、タイミングがあれば戻りたい。どんな形であってもクラブに関わることはできると思うので、気持ちが離れることはない。
‐サッカー少年、少女たちにエールを
 好きな事を全力でやってほしい。諦めずに夢を追い続けること!一日一日を大切にね。セレモニーで「夢を諦める事を諦めてください」って言ったけど、諦める事って簡単で、諦める事を諦めたら、受け入れてやり続けるしかないし、例えゴールにたどり着かなくても得るものは多い。その過程で大切なものを得ていけるので、意識して続けてもらいたいな。実はここだけの話、「夢を諦める事を~」は元々言うと決めていたわけじゃなくて心から湧き出た言葉なんです。
‐サポーターの方々に
 常に近い存在だった。僕のチャントで「俺たちとともに」という曲を歌っていただいた。これからもずっと大切に心に溜めて生活していくし、気持ちは離れない。僕も皆さんを応援しています!栃木SCは皆さんにとっても文化で、大切な象徴だと思っていて、皆さんにも何かを考えてもらえたら嬉しい。これから100年以上続いていくクラブだと思っているので、今後も栃木SCを応援して欲しい。そして『明日は今日よりポジティブに!』
‐ありがとうございました。そして、13年間の現役生活お疲れ様でした。

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